砂丘のなりたち
砂丘とは?
文字通り「砂でできた丘」や「堤状の砂の高まり」を砂丘という。
したがって、砂が表面をおおっているだけでは厳密には砂丘ではない。
砂は岩石が風化し、河川によって海へ運ばれていくうちに細かく砕け磨かれてできる。
海に流れでた砂は、海から陸へ風や波浪に運搬され、吹き上げられた砂が地上の障害物によって風速が弱められると砂粒が失速して堆積し、ここに砂丘ができる。
砂丘の種類と分布
砂丘はできる場所によって内陸砂丘、海岸砂丘、河畔砂丘、湖岸砂丘などに分けられる。
島国である日本列島に見られる砂丘は、ほとんどが海岸砂丘である。
また、できた時代によって古砂丘、新砂丘などに分け、移動性の有無で移動砂丘、固定砂丘とが区別される。
はじめにできる砂丘を一次砂丘あるいは前砂丘といい、これがその後の風食によって削られ、別の場所に再堆積してできたものを二次砂uあるいは、再堆積砂丘という。
たとえば、風向きが一定していて風速が比較的弱く、かつ砂の供給が多い場合には、一次砂丘として風向きに直交して延ぴる横列砂丘が形成される。
横列砂丘の一種で、砂丘の両端が風下方向に延ぴご三日月型になったものはバルハンと呼ばれる。バルハンや横列砂丘は、砂の供給が少なくなり、強い風にかわると。二次砂丘である風向方向に延ぴた縦列砂丘へと変化していく。
縦列砂丘は、やや風向きの異なる二方向の卓越風があると発達しやすい。風向きに対して、バルハンとは逆の三日月型になった放物線型砂丘も、二次砂丘の一つだ。このように、砂丘にはいろいろな形があるが、これらはいずれも孤立することなく、砂丘列や砂丘群をつくることが多い。
海岸砂丘のでき方
1.第1段階
海底に砂が堆積する(河川の営力と沿岸流)
2.第2段階
汀線付近に初期の砂丘形成(沿岸流と波浪)
3.第3段階 現在の砂丘形成(北西の季節風による)
海岸砂丘は横列砂丘のことが多く、ぷつう内陸部から大量の砂を運ぴだす河川の河口近くにできる。河口にはきだされた砂は沿岸流によって、海岸線沿いに運ばれ、波によって海岸に打ち上げられる。
大波のときには、ふだんより陸側に打ち上げられて、砂の高まりである浜堤(ひんてい)がつくられる。
こうして広がった砂浜の砂は、乾くと海風で吹き飛ばされ、内陸側に移動をはじめる。マツ林などの風をさえぎる障害物があると、その手前で風速が弱まり、そこに砂が堆積しつづげて砂丘ができ上がっていく。
今現在、砂丘列をつくっている海岸砂丘では、海側の砂丘列は現在形成されつつあるものだが、内陸側の砂丘列はより古い時期のものであることがわかっている。
多鯰ケ池 多鯰(たね)ケ池は、鳥取砂丘が谷をふさいだためにできた"せき止め湖"である。周囲3.4キロメートル、面積0.23平方キロメートル。 この池は、水面が日本海の海水面よりおよそ16メートル高く、最大水深は中国地方第1位で17.3メートルある。 池の北岸に弁財天を祀る小山があるが、これは江戸時代の絵図で見ると、池のなかの島であった。それが今では完全に陸つづきになっている。 池の周囲にある自然歩道から展望する砂丘の景観は、海岸砂丘の特徴がよくわかり素晴らしい。 鳥取の娘「お種」が、じつはこの池にすむ大蛇であったという「お種伝説」が広く知られている。 |
日本の砂丘のなかの鳥取砂丘
冬に北西の季節風が吹きつける日本海側は砂丘形成の条件に恵まれている。
このため、日本の海岸砂丘の多くは日本海側にあり、鳥取砂丘はその代表格である。
鳥取砂丘では、海岸線とはやや斜交し日本海からの卓越風に直交して延びる三列の横列砂丘が見られる。
砂丘頂部の標高は四十〜五十メートルに達し、きわめて起伏に富んでいる。
国の天然記念物および、国立公園の特別保護区に指定されて、植林や開発から免れたため、その雄大な景観を一望できることが、鳥取砂丘の最大の特徴である。
また、砂丘のなかに潜在する火山灰土層によって、古砂丘と新砂丘に分けられることも大きな特徴といえる。
火山灰土層は、砂丘の形成史を知る上できわめて貴重な存在なのである。
[図-3]砂丘のおいたち
1.古鳥取湾の時代![]() 約10万年前、海面は現在よりも上昇していた。 鳥取地方は大きな内湾となり、山地は岬状に突きだし、湾には大小の岩島が点在していた。 絶え間なく流れだされる砂は湾内に堆積していった。 | 2.古砂丘の時代![]() 氷河時代になると、海面は低下し内湾は陸化した。 湾に堆積していた砂は厚い砂層の台地となった。この台地を飛砂がおおって砂丘を形成した。これを古砂丘と呼んでいる。 古砂丘をおおって大山の火山灰が降下し堆積した。 | 3.縄文海進の時代![]() 長い古砂丘の時代をすきて約6000年前の縄文海進には海面はふたたぴ上昇した。 鳥取平野は内湾となり、泥が堆積した。 しかし、海進の終りころになると、多量の砂が堆積するようになった。そして、部分的に砂丘もできた。 | 4.現在の鳥取砂丘![]() 縄文海進も終り海面が低下するにつれ、新しい砂丘が古砂丘の上をおおいながら発達した。 とくに、古墳時代以降、歴史時代には新砂丘ははげしく移動した。 しかし、最近では植林や河川工事などによって砂の供給が絶たれ、砂丘の成長は停止している。 |
砂丘に見られる地形
![]() スリバチ | ![]() 砂簾 | ![]() 砂柱 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
鳥取砂丘の三列の並行する横列砂丘は海岸から内陸に向けて、第一、第二、第三砂丘列と呼ばれている。
砂丘列の風下側には急斜面が発達し、その前面は低地となっている。急斜面は半月状に低地をかこむことが多く、このような地形を地元では「スリバチ」と呼んでいる。
飛砂は、砂丘の風上側の緩斜面をはい登り頂部に達して積み上げられていくが、安定な限界をすぎると、風下側の急斜面を滑り落ちる。
スリバチの急斜面には、滑落した砂がつくるスダレ状の美しい模様がよく見られる。砂簾(されん)と呼ばれるものだ。
砂丘の表面には、風のいたずらによって、時には美しく、時には奇妙な小地形が形づくられる。
美しいものの代表、それが砂丘を象徴する風紋である。
風紋ができるのは、風速が毎秒五〜六メートルのときといわれ、それ以下でも以上でもできない。風による砂の侵食と堆積のバランスがちょうどよく保たれた結果である。
強風や雨に打たれたりすると、砂丘の表面は強い侵食作用にさらされる。
小石などがあると、その下の砂は侵食から守られ、周囲の砂だけが運び去られることになる。
この結果、小石の部分は浮き上がり、風下側に傾いた奇妙な柱状の小地形ができ上がる。砂柱(さちゅう)というもので、ふつうその高さは、十センチメートル程度である。
風紋も砂柱もそれができるのは、風により砂が動いていることの証拠である。
生きている砂丘
「生きている砂丘」と言うとき、二つの意昧がある。
一つは、不毛のように見える砂丘や砂漠のなかで、注意深く観察すれば、きびしい砂の自然に耐え、適応した生物が生息することを指す。
砂丘植物や砂の中の小さな虫、砂丘に行き交う動物などによって、砂丘は生きていると言えるのである。
もう一つは、砂丘が生きもののように表情をかえ、風によって風紋を描いては消し、消しては描くことを指して、砂丘そのものが生きものであるように言うのである。
砂丘の特徴はかわりやすい自然にある。
砂丘は生成し、変化し、発展して、最後には消減する。成長が休止したときには、砂丘は植生におおわれて緑の草原になったこともある。
何度か消長をくりかえして、いずれ砂丘は一生を終える。それはまわりの環境がかわるからである。
たとえば海面が上昇して海岸砂丘がふたたび水没したり、海面が低下して海岸線が後退することで、砂の供給が途絶えることによる。時には火山灰などによっておおわれ、地層として閉じ込められることもある。






多鯰(たね)ケ池は、鳥取砂丘が谷をふさいだためにできた"せき止め湖"である。




















